四季の森ニュース
バスガールの日
- 更新日2022年02月02日
- カテゴリ四季の森だより
昨日は、夕方には晴れてくるという予報だったのですが、
退社する頃から雪がチラチラしていて、晴れる気配もなかったため、
夜中にライブカメラを見ると路面が白くなっていました。
今朝出勤すると、センター付近は薄っすらと積雪していました。
除雪するほどではなく、竹ぼうきなどで掃けるほどです。
スタッフは、ブロワーで吹き飛ばしていました。
今朝の八ヶ岳 雪雲がかかっているようです
入笠山方面
今朝の富士山は霞んでいてうっすらと見えるだけでした
周辺道路の様子です。
八ヶ岳ズームライン 鉢巻道路側
村道(原村ペンション線)もみの湯上付近
鉢巻道路 八ヶ岳美樹幹付近
そして、別荘地内の様子です。
しらかば平、からまつ平は1cm、こけもも平は2~3cm程の積雪です。
からまつ平C・E区画
からまつ平L・M区画
しらかば平(村道)S区画
しらかば平P区画
こけもも平 ゴミステーション
こけもも平6・7区画
天気予報は「曇り」でも山は雪なんですね。
まだまだ油断はできない季節です。
さて、今日は2022年2月2日で2がたくさん重なる日ですね。
なにかいいことありそうな。
語呂とは全く関係がないのですが、2月2日は「バスガールの日」だそうです。
1920(大正9)年のこの日に、東京市街自動車会社の乗合バスに
日本で初めてバスガール(女性車掌)が登場したことにちなんで制定されました。
女性乗務員といえば観光バスの「バスガイド」を思い浮かべますが、
松電観光バス バスガイドの皆さん(昭和45年)
実は「バスガイド」と「バスガール」の仕事の内容は全く違うんです。
「バスガール」というのは、路線バスの車掌業務を行う職業で、
切符を切ったり、車内案内、ドアの開閉などの他、バスダイヤの時間管理を行っていました。
車内の売札風景
日本でバスが走るようになったのは1903(明治36)年からだと言われています。
日本初のバスは、京都の二井商会が運行した乗合自動車で、
屋根のない荷台に、座席が6席で通路もなく、運転手1名だけで営業していたそうです。
その後バスは全国で走るようになり、東京市街自動車会社が輸入車100台で営業を始め、
女性車掌を日本で初めて起用しました。
当時はまだ女性の職業が少ない時代で、
会社は19歳から30歳の女性37人で募集したところ、
約400人もの応募があったそうですが、結局合格したのは67人だけでした。
そして採用された女性車掌たちは、約1年間の研修を受け、
大正9年のこの日にデビューとなったんですね。
川中島自動車 鬼無里線のバスガール
※バスガイド、バスガールの写真は全てアルピコホールディングスよりお借りしています(転載・使用禁止)
「バスガール」には、専門的な知識が求められ、また1日中バスに揺られるという重労働のため
初任給は35円という当時としては高給待遇でした。
また制服は、黒のツーピースに白襟というハイカラな服装だったことなどで、
瞬く間に女性の憧れの職業になったのですが、
1960年頃からは、女性の働き手不足、電車や地下鉄、自家用車の普及などで、
乗合バスの乗客が激減したことでバスのワンマン化が進み、
昭和末期にはバスガールという職業はなくなってしまいました。
昔、車掌のいるバスに乗ったことがあるとう方もいらっしゃるのではないかと思います。
当社を含むアルピコグループにもバス会社がありますが、かつては車掌という職種があり、
大勢の「バスガール」たちが活躍されていたことでしょう。
アルピコグループは、旧松本電気鉄道の前進である筑摩鉄道が創立してから
一昨年3月で100年を迎えました。
本年度は100+1年になりますが、「100+1周年」を記念した特設サイトをご用意しているほか、
時代の移り変わりを感じていただける内容で、3月25日の創立記念日までの毎日、
SNSでグループ内の投稿をお届けしています。
ご興味があればご覧下さい。
アルピコグループ100+1周年記念企画サイト → こちら
朝の通勤時、車の前をリスが横切っていきました。
よく見ると2匹いて、ダメもとでカメラを向けてみたところ、
1匹だけでしたがカメラに収まってくれました。
冬毛のニホンリスはムクムクで可愛いです。
朝夕に活発に動き回ります。
午後も晴れていますが、風が冷たく気温が上がってきません。
ただ、日差しがあるおかげで、積もった雪はだいぶ融けてきました。
販売管理センター 0℃ 14:20現在
こけもも平(標高1500m)観測データ -2.1℃ 14:20現在 ※今日の最高気温
今晩は冷え込みそうなので、道路の凍結が心配です。
今日のセンター 14時半撮影
バードフィーダー下に積もった雪の上には無数の鳥の足跡が・・・
こぼれた種を食べているんですね