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#愛犬

山に家を手に入れるまで

穴澤賢さん

鎌倉市腰越(こしごえ)で大吉と福助という2頭の犬と暮らすライターの穴澤さんは、八ヶ岳西麓の別荘地にも山小屋を持ち、2拠点生活を送っている。海の近くと山に家を持つといえば、夢のように感じるかもしれないが、本人曰くそんなに楽で簡単ではなかっと話す。その辺りの詳しい経緯を語ったもらった。
穴澤 賢 1971年大阪生まれ
ライター 株式会社デロリアンズ代表

大阪府豊中市生まれの私は上京し、渋谷区初台の賃貸マンションで長いこと暮らしていた。庄内という下町で生まれ育った私にとって、東京への憧れのようなものはなんとなくあったが、山には一切興味がなかった。そもそもアウトドアやキャンプも面倒くさいと思っていたくらいで、友人に誘われたら行く程度だった。20代までは部屋でギター弾いたり音楽を聴いている方が好きな超インドア派だったのだ。

そんな私がなぜ海や山に行くようになったかといえば、先代犬の「富士丸」の影響が大きい。ハスキーとコリーのミックス犬だった富士丸は、むちゃくちゃ暑がりだった。ハスキーの血を引いてアンダーコートがびっしり生えているから仕方ないが、彼にとって都心の夏は地獄だっただろう。エアコンをフル稼働していてもハァハァいっていた。

その暑さから少しでも避難させてやろうと、休日の度に山に行くようになった。するといつも彼は目をキラキラ輝かせている。都心にいるときとは明らかに表情が違う。山に限らず、冬の海や、川、湖など色々なところへ一緒に出かけた。あれだけ面倒臭がっていたキャンプへも何度も行った。彼は自然の中の方が好きらしい。そんな暮らしをしているうちに、いつかこいつと山で暮らせたらと考えるようになっていった。

その夢は、結局途絶えた。本腰を入れて土地探しにもあちこち行ったし、ここがいいんじゃないかという場所まで見つけた矢先、富士丸が突然亡くなったのだ。原因不明の突然死だったが、7才半だった。彼のために移住を考えていたから、彼がないなら必要ない。また元の超インドア派に戻り、山のことなんてすっかり頭から消えてしまった。それが2009年のことだ。

それから2年が経った頃、たまたま見ていた「いつでも里親募集中」で妙に気になる仔犬を見つけてしまう。それが大吉だ。また犬を迎えるとは思っていなかったが、いざ始まったら犬がいる生活の記憶がみるみる蘇った。ゴハンを食べる、遊んでコテンと寝る、ウンコをする。その度に「そうそう、犬ってこうだった」とほんわかした気持ちになる。

その後結婚し、新たに福助を迎え、腰越にマイホームを購入したが、そこには「もう都内はいいかな」という思いがあった。なんだかせかせかした喧騒から離れたくなったのだ。とはいえ仕事で都内に出ることもたまにあるから、遠く離れた地方に移住するのは難しい。腰越なら新宿まで1時間半くらいだし、海の近くでどこかのんびりしているからちょうどいいと考えたのだ。

ところが予想外のことがあった。大吉も福助も、海にまったく興味がないのだ。毎日砂浜を散歩しているのに、全然嬉しそうではない。泳ぐことはもちろん、波打ち際で足が濡れることさえ嫌がる。犬たちのためだけに海の近くへ越したわけではないが、もうちょっと喜ぶと思ったんだけどなぁ。

犬との暮らしが復活したことで、また山や川へ遊びに行く機会が増えていた。すると彼らは山では目をキラキラさせる。動きが生き生きしている。海では目が死んでいるのに。そうか、やっぱりお前らも山が好きなのかと思ったのがきっかけだ。

そこからまた物件探しが始まった。山梨県から長野県の犬OKの貸別荘に泊まりながらあちこち見て回ったが、標高が高い方がいいという理由から八ヶ岳周辺に絞った。なぜならその方が夏涼しいからだ。ここでひとつ問題があった。予算だ。良さそうな中古物件はあるのはあるのだが、高くて手が届かない。安い土地もあるが、家を建てる予算がない。

諦めてお金が貯まるまで待つか。しかしそうなると実現できる頃には大吉と福助が老犬になって走れなくなる。さてどうするかと思っていた矢先、八ヶ岳西麓の別荘地で格安の中古物件が見つかる。持ち主は何年も来ておらず、放置された階段は朽ち果てて、雑草が生い茂っていた。300坪で価格は家込みで200万円。

ほいほい出せる額ではないが、あちこち見たので安いのは分かる。恐らく解体費用に2〜300万円かかるから、それを見越してのことだろう。ボロボロだったが、なぜか見に行ったときに「ここはいい!」と直感的に思った。新車を買うことを思えば安いくらいだ。そう思って購入することにした。それが2017年の夏だ。

建て替える予算がないから当面は修理しながらだましだまし使うことにした。残された家具や荷物を廃棄する条件付き、断熱材はなし、薪ストーブもなし、隙間風はあり、雨漏りする、という状態。だから夏だけ使うサマーハウスにした方がいいと言われたが、結局30万円かけてFF式ストーブを入れ、強引に冬も使えるようにした。それでも室内は寒かったが電気毛布で耐えながら。

さらに生い茂っていた雑草は草刈り機で何度も刈り、ドッグランを作った。そうこうしているうちに、もう建て替えるのは諦めて補修することにして、まず雨漏りする屋根を直し、壁やテラスにオイルステインを塗り、2020年頃から地元の大工さんにお願いし、少しずつリノベーションして現在に至る。

すべては大吉と福助がいたからだ。彼らがいなかったら、山に家が欲しいとは思ってもいなかっただろう。人間だってそう感じるが、毛皮をまとった犬にとって、山はより快適だろう。腰越と比べて、気温がいつもだいたい10℃は低い。だから夏場でもクーラーはいらない。というか、そもそも付いていない。

その分冬は寒いが、それは彼らにとって問題ではない。むしろたまに雪が積もると大喜びで、文字通り庭駆け回っている。犬にとって、山は楽園なのかもしれない。

大吉と福助は、山の家に来る度に、顔を輝かせてドッグランを走っている。「プライベートドッグランを持っている犬なんて贅沢なんだぞ」と思うが、彼らは草刈りの大変さや苦労を全然分かっていないだろう。それはそれでいい。

これは山の家を手に入れてしばらくしてから分かったことだが、かつて富士丸と暮らそうと見つけた土地は、車で15分ほどの別荘地だった。そう考えてみれば、なんだか不思議なめぐり合わせだ。
 

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穴澤さんのBLOG 「Another Days」

WEB MAGAZINE いぬのきもち連載 「穴澤賢の犬のはなし」

Sippo連載 「悩んで学んだ犬のこと」