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2022.11.10

#標高1700メートルで犬と遊ぶ - 穴澤賢さん連載エッセイ「犬のために山に家を」

穴澤賢の連載エッセイ「犬のために山に家を」(第1話)

 犬と暮らすと、人は変わる。日々の暮らしの中で、ほとんどのことを犬中心に考えるようになる。もちろん生きていくために働くし、出かけたりして留守番させることもあるのだが、そういうときも常に頭のどこかに「早く帰らないと」という意識がある。なぜなら散歩の時間に遅れるわけにはいかないし、ゴハンの支度もあるからである。だから用事を済ませたらすぐ帰る。ブラブラあてもなくウィンドウショッピングをすることなどなくなる。

 そういう意味で、犬には人を変える力があるのだが、それは強制されるわけでもなければ、制約に感じることもない。自らそうしたいと思うのだ。なぜなら彼らが可愛くて仕方ないからである。まったくもって、犬というのは不思議な存在である。犬と暮らしている人はだいたいこんな感じではないだろうか。そんな思いが、ときには環境を大きく変えることがある。

 現在、私は大吉と福助という二頭の犬と暮らしている。どちらも何が入っているか分からないくらいの雑種で、里親募集サイトで出会い、わが家に迎えた。鎌倉市腰越に自宅があり、八ヶ岳に山の家を持ち、月に何度か行き来する二拠点生活を送っている。腰越はともかく、山の家を手に入れたのは、間違いなく彼らのためである。というのは、大阪府豊中市の庄内というド下町で生まれ育った私は、田舎暮らしにも山にも一切興味がなかったからだ。
 
 以前『大まかな話(https://www.alpico.co.jp/tateshina/attractive/tateshina/expert/5/)』を書いたことがあるが、この連載では、そんな私が山の家を手に入れるまでの経緯と、実際山の家を手に入れてから現在にいたるまでの詳しい話を書いてみようかと思う。私と同じく、「いつか犬のために山に家が欲しい」と考えている人は参考程度にしてみて欲しい。
 

 そもそも、なぜ犬のために「山」なのか。たとえばラブラドール・レトリーバーのように水が大好きな犬種であれば、「海」の近くでもいいのではないか。その辺りは犬の好みもあるのかもしれない。私が暮らしている腰越は自宅から徒歩五分で海岸だが、大吉と福助は海にはまったく興味がない。波打ち際で足が濡れることすら嫌がり、砂浜は用を足すところとしか思っていないようだ。
 

 そんな大福だが、山へ遊びに行くと目を輝かせて嬉しそうにするのだ。そこら辺の匂いを嗅ぎまくり、足取りも軽くなる。犬というのは、都会のアスファルトより、木が生い茂った環境を好む。この点はラブラドール・レトリーバーも同じだと思う。

 山がいいもうひとつ、こっちが最大の理由なのだが、それは気温である。チワワなど暖かい国出身の一部の犬種を除き、犬は基本的に暑がりだ。犬にとって日本の平地の夏は地獄といってもいい。そのため夏場は気温が上がる前の早朝に散歩を済ませ、日中はクーラーのきいた室内にいてもらうことにしている飼い主も多いはずだ。

 しかし、標高1300メートル以上ある山になると、夏でも涼しいのだ。平地と比べると、だいたい十度ほど低い。だから都内が三十五度だと、山では二十五度くらい。しかもそこら中に樹木の影があり、日中でも外を歩ける。さらに夜は長袖を着ないと肌寒い。自然に囲まれた環境で、気温が低いということは、犬にとってパラダイスなのである。そのことは、山で見せる犬の表情が物語っている。だからやっぱり山なのだ。

 私が山に家を持ちたいと思ったのは、大福を迎えてからではない。実は、先代犬の富士丸のときにも目指したことがある。ハスキーとコリーのミックスだった富士丸は、ハスキー譲りのアンダーコートがびっしり生えていて、超が付く暑がりだった。夏場はクーラーのきいた部屋でもハァハァいっていて、冬を心待ちにしていた。

 そんな富士丸のために、少しでも涼しい場所を求め、本来興味がなかった山へ遊びに出かけるようになる。すると彼は目を輝かせ、全身で喜びを表現する。そのうち夏場だけではなく、冬も山へ行くようになったが、雪の上で幸せそうにウトウトしていたこともある(彼が寒そうにしている姿は見たことがない)。

 当時は渋谷区の初台の賃貸マンションでひとり暮らしをしていたが、そんな姿を見るうちに、山へ移住するのもいいかなと真剣に考えるようになる。当時、私は30代後半で、富士丸にも寿命はある。あと何年生きてくれるのか。よくて10年か。でも彼が生きているうちに、少しでも快適な環境で過ごさせてやりたい。後のことは後になって考えればいい。移住というのは大きな決断だったが、富士丸のことを思い、決めた。

 そして実際に動き出し、住宅メーカーとの企画(といってもほぼ実費)を立ち上げ、半年くらいかけて何度も下見を繰り返しようやく見つけた、手の届きそうな土地を購入しようとした契約前夜、富士丸が突然死した。まだ七歳半だった。このあたりの話は拙著「またね、富士丸。(小学館文庫)」に書いたので割愛するが、富士丸がいなくなったのなら、山に土地を買う必要なんか何もない。その計画は中止になった。

  それから二年半の空白期間を経て、大吉を迎え、さらに福助も加わった。途中で結婚もした。犬との暮らしの喜びと楽しさを思い出す中で、山へ遊びに行くと、大福もやはり目を輝やかせている。そして、記憶に蓋をしていた果たせなかった夢を思い出したのだ。とはいえ、私はしがないライターで、山の家をほいほい買えるほど裕福ではない。
 
 ちょうどその頃、開催されていたキャンピングショーを見に行った。そこである考えが浮かんだ。山の家が買えるまでお金を貯めるのではなく、とりあえずどこかに安い土地を買い、手頃なキャンピングカーを手に入れて、そこへ遊びに行けばいいのではないか。それならすぐ出来るかもしれない。何よりも、大福が元気に走れるうちに実現したかった。こうして私は再び、山の家を手に入れるために動き出した。
 

 しかし、実際に土地探しをしてみると、そんなに簡単ではないことを知る。まず、多くの別荘地は、土地だけ買ってそこにテントを張ったり、キャンピングカーで遊びに行くことは認められていない。家を建てなければいけない。

 では別荘地以外の、ただ山の中にある土地を買うのはどうか。それなら場所によってはかなり安く済む。ただ、ここで注意しないといけないのは、そんな土地を買ったとしても、水道や電気ガスといったライフラインは来ていないから自分で引かないといけない。電気は近くに電柱があれば引けるかもしれないし、ガスはプロパンガスでなんとかなる。でも水道はどうにもならないから、井戸を掘るか、どこかから引っ張ってくるか。それにはかなりの費用がかかる。さらに、ゴミ収集などの問題もある。そのことはかつての富士丸の経験から知っていたから、ライフラインも整っていて、ゴミ収集もしてくれる別荘地の方がいい。

 とはいえ、土地を買って新たに家を建てるのは金額的にかなりハードルが高い。その頃の私にはそんな余裕はなかった。
 そこで中古物件を探すことにした。探してみて驚いたのは、150万程度(当時)から1000万を越えるくらい金額の幅があったのだ。それ以上もあると思うが、キャパシティを超えるのではなから探していない。

 そして、いくつもの物件を見ていくうちに、日当たりが悪い、アクセスが不便、ボロいなどなど、安い物件には安いなりの理由があることが分かってきた。

 とはいえ予算的に贅沢はいえない。下見を繰り返しているうちに、もうちょっと予算に余裕が出来るまで待つしかないかという思いが強くなり、諦めようかと思った時期もある。

 ところが、そんなときに手頃な物件が見つかる。鬱蒼としていて、ボロボロで玄関に続く階段は朽ち果てている。雨漏りもする。薪ストーブはおろか、暖房器具もない。敷地内はクマザサが生い茂っている。そんな悪条件だったが、なぜか私と妻は「ここ、なんかいい」とビビッと来たのだ。何度も下見して来た中で、そんなことは初めてだった。大福も喜んでいる。敷地は300坪。価格は新車を買うより安い(※当時の相場であり、現在はもう少し上がっていると思う)。

 安く抑えられた分、階段を作る費用に回せる。クマザサなどの雑草は草刈りを頑張ればいい。雨漏りは当分バケツでしのごう。暖房器具がないなら、冬場は来なければいい。ちょっと見切り発車的だが、その物件にはそう思わせる何かがあった。それは賃貸物件を探しているときに感じる、あのしっくり来る感じに似ている。
 

 こうして私は2017年の夏、犬のために山の家を手に入れた。後に待ち受けている苦難の数々はこの時点ではまったく分かっていなかった。ただ、「やった! 遂に山の家を手に入れた!」と喜び、大福にも「お前らの第二の住処が出来たんだぞ」と語りかけていた。

 ひと通り苦難を乗り越えた今でも、その気持ちは変わっていない。むしろあのとき動き出して良かったと思っている。(つづく)

プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる) 
 
1971年大阪生まれ。ライターで「またね、富士丸。(小学館文庫)」、「また、犬と暮らして」、「犬の笑顔がみたいから(共に世界文化社)」など犬関連の書籍を多数出版。音楽の連載やコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック「Another Side Of Music(ワーナーミュージック・ジャパン)」を出版。

2015年には自らが欲しいと思ったペットグッズを作るブランド『DeLoreans(https://deloreans-shop.com)』を立ち上げる。

BLOG「Another Days」 https://anazawamasaru.com/
Twitter https://twitter.com/Anazawa_Masaru
インスタグラム https://www.instagram.com/anazawa_masaru/?hl=ja

【連載】
 いぬのきもちWEBマガジン『犬のはなし』 https://dog.benesse.ne.jp/tags/?id=619
 sippo『悩んで学んだ犬のこと』 https://sippo.asahi.com/feature/?key=11030585